オカルト的な話にすぐなる

日記は1日の終わりに書くものだと思っていたら忘れてしまうから今書くんだよ!

こんばんは、ミスタープラネットです。


突然ですが、オカルト好きですか?

私は好きです。

昔、宜保愛子さんを観てひゃーとしたものです。今と違ってオカルトな番組ってありましたよね。

いつの日か 行って観たいな 恐山

FODプレミアムを体験して真っ先に見たのは宜保愛子さんの番組でした。昭和ってやばいですよね。

何でオカルトの話になったかと言うと、気が緩むとオカルトな話になってしまうからです。

別に怪しいものじゃないんですけどね。

なんかこう、人間にはわからない力、現象を受け入れるのが好きなんです。


例えば、私は宇宙人もいると思っています。

神も、妖怪も、幽霊もね。

超能力者だって。

神はいるとしても、神は願いを叶えてくれるわけではないと考えていますし、神が滅ぼすこともあると思います。ただ、拠り所とするならば私たちは博愛と慈愛に満ちた神に対する存在だなと思います。

存在はしていて。

何をするかを求めなければ何もないのです。

でもなんとなくサンタはいないと分かっています。なんでだろね。


私は神社仏閣が好きで、よくお参りに行きます。御朱印帳ブームの前から家族で御朱印帳をやっていたり、写経を自宅でやっていたり。

幼少の頃の祖母の影響か、光明真言を覚えさせられたものです。

信心深い家だと思いますが、それが全てを救ってくれるとは思っていません。

高校の時、私は図書館で簡易的な聖書などの本を読みました。

世界一のベストセラーに興味があり、西洋画などをみるに聖書や神話を漠然と知っておくことは無駄ではないと思ったからです。

当時、変な人扱いされましたがね。

「何を読んでいるの?」

と聞かれてよく困った挙句、私は

哲学書だよ」

と返しました。

そう、仏教もキリスト教も哲学だと思ったのです。

何百年、何千年と、人は同じように悩み、苦しみ、悟りを開くために修行をしました。

その結果残された書物というわけです。

教えとはそれぞれの側面があり、仏教は哲学に近いな…とかキリスト教は生活や対人の指南者だな…と解釈しました。


これをすれば、こうなる

と、求めることは信仰なのかもしれませんが

これをすれば、どうなる

はやってみればわかることです

人間ですからね


時間が決まったお祈りや暦は、人間の怠惰を無くし、時を意識させます。

祭りごとは季節や感謝の心を生むでしょう。


人間は怠惰な生き物だと私は思っています。

だからこそ、その怠惰になりうる生物に指針を与えたのものが宗教から生まれた習慣だと思うんですね。

それぞれの捉え方はあるでしょうが、私は悩んだ時や気が滅入った時にお参りに行くと落ち着きます。

メンタルも支えるものでもあると思われます。


なぜ、私はこのように斜に構えたものの見方をしているのかと言えば、熱心な仏教徒である祖母が、仏教がいけないよと言っていることを易々と破りつづけたからです。

そのわりには、祖母の周りには人が集まり、仏教の教えを説いていました。

信用が集まり、尊敬を得ても、祖母は満たされることなく、命を経ちました。


なので、信仰とはなんなのか当時の私はあまりにも混乱しました。

壁に飾ってある教えを指差し、祖母にひとつも守っていないじゃないか!と喧嘩したこともあります。

そのくせ、わたしにはあれこれ仏さんが観てるよなどと言うのです。

意味がわかりませんでした。

何故、あんなに熱心にしていたのに、こんなことをするんだ。

何を学んできたのだと。

今でも当時のことを思い出すと腹立たしい気持ちでいっぱいになります。

所詮、祖母にとっては信仰の行動は自分を輝かせるものであり、見えないところでは背いて良いものだったと言うわけです。

色んな人がいていいといいながら、最近惜しまれつつこの世をさった某を見ると嫌だったのはそこなのかもしれません。


潔癖だったのかなんなのか

祖母はなんのために信仰をしていたのか

今となっては誰もわかりませんが、一つ言えることは、祖母は弱い人でした。

信仰がなければ、自分を輝かせることもできなかった。

晩年はわたしとよく喧嘩をして、わたしは祖母に狂わされたと言っても過言ではないでしょう。

暫くして祖母が精神疾患があるのではないかと言う話になり、わたしにその素質が遺伝している訳です。

大好きだった祖母はわたしの反面教師になりましたし、あそこまで狂えていたのならさぞかし良かったろうと思います。

中途半端に狂っている方が地獄です。


そんな形で、斜に構えるようになりました。

私は宗教も古代文明も妖怪も好きです。

人が作り出したものなら好きです。


あ、そんな反面教師の祖母が救ってくれたこともあるのでその話はまた今度