ブログなるものを始めてみる。おそらく三日坊主だろう

初めまして、こんにちは、こんばんは、おはようございます。お疲れ様です。

ミスタープラネットと申します。今性別は今後、内容からわかってくると思うので省略します。

 

私は30代後半で、10代の頃、30代になったらぽっくり死にたいななんて思っていたらもうそんな年代も終わりそうで焦ってブログを始めました。

意味がわからないですよね。

説明すると、人生に色々ありすぎて、生きていて何回も自伝を書きなよと言葉をいただいたことがあり、その都度「年取ったらね」とか「人生の大半を終えたらね」なんて匿名性もあって先延ばしにしてきました。

そんな先延ばしにしてきたのに、気づけば30代後半になっていたわけです。

先述にもあったように、私は10代の頃、30代でぽっくり死んでしまうのだろうと思っていたのにありがたいことに生きています。感謝です。

計画なんてなんじゃそらなことです。生きる死ぬが計画通りできたら世界が崩壊します。

なんとなくの戯言なんです。厨二病の。

ただ、この漠然とした感覚は今も私を支配しているわけです。

 

ここ数ヶ月私は、人生についてよく考えるようになりました。

何故生まれて、何故生きており、何を楽しみにして、何を幸せに感じ、何を生きがいにするのか。よく考えてみれば私は生きがいを求めているのかも知れませんが、生憎、生きるので精一杯なのが実情です。

 

私の簡単なプロフィールを紹介します。

双極性障害の診断を受けて投薬をしています。

症状が出たのは20代半ばで、その時は色々なストレスやパワハラを受けており身体にも精神にも負荷がかかって発病しました。

鬱かと思ってメンタルクリニックに行き、診断されたのが双極性障害だったというわけです。

軽度なのでⅡ型です。目ん玉飛び出たよね。

「治らないです」って言われちゃったもんで。「脳の病気」とも言われて。

え〜マジかよ…と凹んだのですが、治らないもんはしょうがねえな。と普通に生きることを目指しました。

20代の頃は薬を飲み仕事を頑張ってきましたが、それでも崩壊して仕事をやめ、しばらく地場を離れて遠くに旅に出て帰ってきて、帰郷し、また仕事を始め、ストレスによる過敏性腸炎で電車に乗れず、仕事を辞めては就職し何かしらの問題が起きて…を繰り返すことになりました。

結果的に、過敏性腸炎を診察してもらった医者からメンタル原因かも?って言われて過去、双極性障害の診断を受けたことをいうと、すぐに紹介状を書いていただき、地元の専門病院を紹介してもらいました。

その際に、良い先生に恵まれて2年の休業と治療を言い渡され、その後社会復帰をしています。と、言ってもいきなりフルではたらけないのでパートですが3年は経っています。

投薬&通院&パートですね。

 

そんなこんなで、30代後半になりパートで収入も安定しない状態で人生をよく考えた結果、「ヤベエ…」しかないわけです。これは私の基準で、誰かをやべえと言っているわけではありません。悪しからず。

おらこんな村いやだの歌詞に出てくるレベルで○○がねえ!の連呼の30代なわけです。

毎日、美味しいご飯が食べられて、寝る場所があって、好きなものも買えます。でも、将来のことを考えると漠然とした不安があります。

ここ数ヶ月、この不安が強くなり、鬱の波を強く感じている最中です。

そして気づいたのですが、この漠然とした不安が、私は10代からあったのだと思います。

何になりたいわけでもない、でも無駄に人生は終えたくはない。

何か結果を残してから終えたい。

そんな焦りが出てくるのもまた、不安の一種なのでしょう。

 

何を綴るのかまだ決めかねていますが。

やべえなと思った私は、今を生きるので精一杯な人生を変えるべく資格の勉強をし始めたのですが、やるぞ〜と勉強したのが躁の時だったのか、今、鬱になってしまって試験勉強がめっちゃできなくて死にそうになっています。過食が止まらねえ。試験がストレスになって逃げてます。ヤベエ。韓国のお菓子うめえ。

ということで

去年10キロ痩せたのに嘘だろというヤベエ30代後半を綴ります。